2004年04月09日

おかのうえの愚者、三輪車から眺むる間抜けの景色

先日、といってもはや一月半も前、教育テレビで『貘さんを知っていますか?』という番組を拝見。その詩人『山之口貘』は、金子光晴などと親しくしていた人物。親族の家から朗読のテープやらなにやらが見つかり、それを元に彼の足跡をたどったりという内容で、とっても面白く楽しんだのだけれど、そもそも番組に興味を持ったのは、ミュージシャンの高田渡氏登場と番組欄にあったから。氏は、山之口貘の詩に曲をつけて、もうずいぶん長いこと歌っている。

まったき僥倖、数年前に、地元のちいさな呼び屋さんのおかげで、間近に氏の歌を聴くことができたのだけれど、世代的に云っても明らかに落語の枕に影響をうけた、曲の合間のしゃべりと、飄々としながらも丁寧に、とても丁寧に紡いでいく歌とギターに“感心”した。だけれども、ずいぶん時間がたって、彼のことはぼんやりと忘れていて、件の番組で久方ぶりにその歌声を聴いて、今度は感激してしまった(“感心”だなんて、不遜だったってことも気付いたり)。山之口貘の詩は、なんだかとぼけている様でいて言葉の配置は綿密。それを高田氏が歌うと、さらにとぼけて綿密に、立体的になる。こじんまりとした昭和の公団住宅的な風情を持った氏の住まいで、キッチンを抜けて部屋に入ると詩集がぎっしりの本棚が待っている。でも、氏の佇まいや話し方と同じに構えたところの全くない、風変わりな空気もある。番組では、そんなところも見ることができた。

the fool on the hill
ザ・タイムズ・ゼイ・アー・ア・チェインジン。ディランのこんなのが楽しみな昨今、高田氏の“自伝”バーボン・ストリート・ブルースで引用されているピート・シーガーのたまわく「歌と云うのは古い家だ」、土台がしっかりしていれば中身はどんどん変えてゆくべきだ、という言葉は、高田氏の「変わらないねえ」と云われてしまうような、氏に対しての“見られかた”を考えるにつけ、アレンジを変えながら同じ歌を歌い続けるディランとの写し鏡のような、しかしオモテウラの相似形を感じずにはいられない。丘にたたずむ“愚か者”が眺める“世界”は、眺められていることに気付いているのか、ということ。

ファースト・アルバム『ごあいさつ』は、だから“古い家”だ。風雪に耐えて、こんな若輩にも恐ろしく新鮮に響く。最近の高田氏を凄い、と思っていたので、実のところ若かりし頃の粗忽な氏が聴こえてしまうのではと危惧したのだけれど、全くそんなことはなくて、だからこいつは皆さんにおすすめです。山之口貘の詩の曲や、はっぴいえんどが参加してることや、もはやクラシックの趣の「自転車にのって」や「生活の柄」も素敵だけれど、「コーヒーブルース」の歌い廻しや演奏、言葉の選び方が白眉(音楽的背景は、後述TB先のswing51さんblog『とり五目』のエントリから辿っていただくのが吉)。その他の曲のシャンソン調の詞も面白い。個人的なハイライトは「アイスクリーム」の深い洞察と音楽的知識と演奏力と音色と世界観で、なあんて実はそんなことを眉にしわよせて思わせるような趣では前々ないのに、聴く度「すげえ」とうなってしまうさりげない“凄み”。詞だけでは勿論わからないけど、こちらなどでご興味をお持ちになったら是非御一聴。

タカダワタル的
ちょうどいいあんばいに、『タカダワタル的』という映画が公開された。「国の認めない人間国宝」というコピーがまた、オモテウラな雰囲気でニヤリとさせられる。今のところ、新宿テアトルのレイトショーだけで、どうやら毎晩高田氏本人も現れている様子。長けりゃ大作(not 池田)みたいな昨今には、65分という上映時間も一言ありそな風情で好みでもあるし、だからこそこんな一言レビューなんて、筆力もないくせに「レビュー」なんてって然も「一言」なんてって但々エンピツをのたくらせる馬鹿やろうが、ほんとにほんとに間抜けにしかみえない。『歌自体はたいしたことないけど』だって?お前さ、聴いた事ないなら云うべきではないし、映画の感想なら『歌の良さはわからなかったが』と書くべきだろうがこの糞が。『いい意味で、進歩がないんだろうな』だって?『いい意味で』だの『生理的に』だのが私ぁ生理的にだいっっきらいなんだよこのガキが。いや、いい意味で。
閑話休題、つまりこうだ。“愚か者”はどちらか、いや、“愚か者”って何か、わかってるのか?

ひとを知れば、音を聴きたくなる。音を聴けば、ひとを知りたくなる。件の映画の監督は、私とほぼ同世代(まあ、若いほうと思いましょうよ、皆さん)。フール・オン・ザ・ヒルは街の中にも、すぐ隣にも居るんだもの、と感じているに違いない。“英知”はネイティヴ・アメリカンだけが持ってるものじゃない、ってことだよ。三輪車に乗って、立ち飲みやに向かう彼の見る風景を見ろ、ってこと。

まあ落ち着いて。糞は糞と云おうじゃないか、落ち着いてね。お隣同士、仲良くやるのも大事だけれど、「こっち来いよ、面白いよ」って自分で云わなきゃ誰が云うのかね。一緒にどう?少しばかりってのを。


trackback :
コーヒーブルース(移転前エントリ) at とり五目(移転先リンク)
世界の中心で、愛をさけぶ /片山恭一 at sketch-book
部屋の中心で腹黒を叫ぶ at ブルグ


posted by swj at 23:51| 長野 ☀| Comment(2) | TrackBack(1) | "their" notes | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>まあ落ち着いて。糞は糞と云おうじゃないか、落ち着いてね。

そうか、そういうトラバだったのか。とうなることしきり。お勉強になりました。

糞は糞、と言ってみた結果学んだこと。
否定するのは同意を得やすいが、肯定するのは難しい、ってこと。
どっちかってーと、肯定する方が勇気が要りますな。
ケチつけるのは簡単だもん。
Posted by march at 2004年04月10日 14:31
最近そういうネタで、とあるblogさんが盛り上がっていたので、感化された次第です。そちらは一応収束していて、迷惑かかるといけないので、TBしてないんですけどね。Wilco関連の話題です。

確かにケチつける“だけ”は簡単ですけど、私の場合はしっかりとケチつけてやることで自分の好きなものや肯定したいことをはっきりさせたいなあ、というのがありまして。marchさんのとこや、blueさんとこにはそういうのを感じたので、TBさせていただきましたよ♪
Posted by swj at 2004年04月10日 14:45
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